「英語に愛されないエンジニア」の一節

「英語に愛されないエンジニア」という連載をされている方がいます。ぼくも、英語に愛されていないと思うことがしばしあるので、面白がって読んだりしているのですが、その中の番外編で、「若きエンジニアへのエール~入社後5年間を生き残る、戦略としての「誠実」~」というのを書かれていて、その最後に書かれていたことが・・・、そのまま引用させて頂きます。

 かなり見落されがちなのですが、エンジニアは、かなり「幸せ」な人種なのです。
 エンジニアは、課題があれば解決しようとし、解決すればその中からまた別の課題を見つけ出し、それを解決せずにはいられません。エンジニアは、「暇」という概念がなく、常に忙しく、そして、いつも無駄に疲れています。本来、恋人や友人がいないことを寂しいと感じる時間帯(ひとりぼっちの夜など)で、コーディングやシミュレーション、ハンダ付け、回路設計をしているので、「恋人や友人がいないことは寂しいことだ」と知識として分かってはいても、それを実感する時間がありません。
 いわば、通貨の概念のない未開の地において、コインや紙幣を見せられた原住民程度にしか、結婚や恋愛や友情を理解できません。これは客観的には不幸なことのようにも見えますが、当人がそれを不幸であると感じない以上、誰がなんと言おうとも不幸になることはできない ―― つまり「幸せ」であるということです。
 エンジニアは常に、未解決な課題に向って、いつでも一生懸命です。それらの問題が解決した時のエクスタシーは、酒、たばこはもちろん、SEXや麻薬すらも及びません(一部経験がありませんが)。そのような快楽を現世で体験できるエンジニアは、かなり「幸せ」な人種に分類されると思うのです。
 あなたが、「ぶか」と入力したら「不幸」と漢字変換されるくらいの立場であったとしても、「エンジニアでいられることは、それ自体が奇跡と呼べるほどの幸せである」と、パラダイムシフトができれば、 
――あなたのエンジニアとしての人生は、すでに勝ったも同然です。

 これは、ちょっと言い過ぎですよね。でも、こんな感じのことを、当たり前のようにまわりから、求められることが、しばしあるような気がします。まあ、当たってなくはないのですが、だからと言って、それを前提に言われてもってのも、あるような気がしますが、これが、エンジニアのさがってやつなのでしょうか。
 何だか、ちょっと考えさせられたので、メモさせて頂きます。