人工生命の方法論

 どこかで聞いたことがある、人工生命というやつのお話を読んでいます。(よくわかってないけど)取りあえず、概要のところを読んだのですが、考え方が面白いと思いました。
 ぼくらは、知らず知らずのうちに、これは、こうだから、こういう結果になると予測します。これは、意識的あるいは、無意識であっても、ある法則を知っていて、因果関係から、こういう行動をとると、こういう結果が生まれるということを知っているからだと思います。言い換えれば、それは、ある法則が成り立っているからわかることで、その法則は、経験と理論を組み合わせたものになります。
 これって、すごくシンプルでわかりやすいのですが、実は、世の中、そうでないことのほうが多いということは、何となく経験上知っているような気がしませんか?
 上記のようなしっかりした法則性は、人工生命を考える時にも当てはまらないようです。ではどう考えるかというと、いろいろな条件下において動的に、選択をしていくと、どういう結果が得られるかを、試行錯誤の中研究しているように思えます。(実は、よくわかってないので、うそを言っているかも知れません)つまり、原因と結果が1対1の関係ではなく、その都度、結果を考慮して、次の選択をしてく動的な変化の積み重ねがどうなるかという世界らしいです。これは、いろいろな結果が出ると思われるので、ミクロ的には、因果関係が成立しないのですが、大まかに見ていくと、何処かに収束しているのではないかと、研究されているような感じなのでしょうか。
 条件が少し変わると、結果が大幅に変わってしまうため、法則性が見つからない。これは、よく聞く、カオスの世界と似ているようです。
 カオスの世界は、決定論的な考え方では、導くことが出来ないものがあるということを示した考えのようで、初期値をほんの少し変えると、答えが、全く違うものに変わってしまう現象なのだそうです。(興味が出てきたので、今度ちゃんと何かを読んでみたいです)人工生命は、決定論的な世界とカオスの世界のちょうど境目の世界をターゲットに理論を展開しているようです。
 と、わからないまま適当なこと書いていますが、これを読んだとき、やっぱり未来は、決まっていないのかも知れないとふと思いました。未来は、いくつかの選択があってその選択のもと決まっていく。いろいろな力関係があって、確率的に高い未来は存在するのかも知れませんが、何を一番に考えるかで、人それぞれ選択が変わるわけですから、未来も変わるのかも知れない。自分たちの未来がカオスなら、カオスは、そのことを理論で証明してくれているのかも知れない。と、そんなことを考えました
 こんなことを理論で追いかけるなんて、人間という生き物は、やっぱり面白いと思います。ぼくは、生命を解き明かすこと自体には、実はあまり興味はないのですが、考え方には、かなり興味があります。この答えは、解き明かされることはないような気がしますが、今後は、こういう話題も気になりそうな気がしてます。