削ることの難しさ

 最近、ニュースのチェックどころか、普通のblogチェックすら、まともに出来ていないように思えます。メールも溜まってしまって、あるメーリングリストなど、未読が500件を超えてしまい、いやはや、どうしようもないなと思うのですが、かといって、具体的な対応策も思いつかない始末。この情報の大洪水に対して、どうアプローチすればいいのか、思案のしどころですね。
 そんな、情報を少しでも整理しようと、溜まってしまった、ほぼ日を見ていたら、「自分の健康について考える道具」というのをやっていました。糸井さんや岩田さんが、仰っているような感じで、ぼくも最近では、この本論にもいろいろ共感が持てるのですが、今日は、この回の違うところに反応してみます。以下、引用です。

岩田
それが、だんだん削ぎ落とされて
いまの冊子のかたちになったんですよね。
つまり、「熱意のこもった分厚いバインダー」を
「小さな冊子」にすることで、
いろんな敷居がさがって可能性が広がったわけです。
それって、じつは、
ゲームをつくるときの流れとよく似てるんです。

 ぼくは、仕事柄、携帯電話なのどの電子機器の機能について、こういうことをよく考えてしまうのですが、何も、こういうのは、電子機器に限ったことではないんですね。
 最近は、引き算の美学的な話をよく聞くのですが、この手の話は、なかなか一般の方には、受け入れてもらえないのが現状のような気がします。特に、オーダーメイドのようなものの場合、仕様打ち合わせをすると、同じお金を払うなら、機能が少ないのは損だと考えるのか、後から、後から機能が追加されていって、あれも、これもとなってしまうことが多々あります。だから、この削る作業っていうのは、実は、とても難しい作業なんですよね。
 また、逆のパターンがあるのも事実なんです。特に、初号機なんかは、時間が足らなくて、本来あると、とても便利な機能を実装することが出来ない。でも、面倒な使い方をすれば、使えないことはないから、納期優先で、発売してしまう。この場合は、明らかに足さなければいけないパターンで、確信犯なんですが、削りすぎると、そのパターンに陥る場合もあります。だから、その見分けがとても大事になります。
 
 このようなものは、何も電子機器の機能だけではなくて、こういう冊子作りとかにも出て来るんですね。最近ちょっとしたプレゼン資料を作らなければいけなかったのですが、こういったものを作る時にも頭の隅に入れておいたほうがいいのかも知れません。説明資料にあれも、これもとするのではなくて、きちんとポイントを抑えて、資料を整理するべきなんでしょうね。(といっても、もう後の祭りなのですが・・)
 削る作業というのは、そのものをよく理解していないと、削ることが出来ないような気がします。足すほうは、必要ないものを足しても、それは使いにくく(あるいは、わかりにくく)なるかも知れませんが、無視されるだけですので、実は、簡単に実行に移せます。でも、削るほうはそうは、いきません。下手をすると、削ったものに関わっていたもの全てに影響を及ぼすかもしれません。なので、本当に本質を理解した上で、必要ないと判断できないと、危険なわけです。そういう意味では、削る作業というのは、本質えを理解するという意味でも、重要なことかも知れません。
 実際には、試行錯誤の段階で、なんども試してみるのが一番の近道だと思うのですが、試せないものもいっぱいありますので、なかなか難しい。そういう意味では、冊子のようなものだと、簡単に試せるからいいな~とちょっとうらやましく思ったりもしました。
 ゲームが削る作業というのも、新鮮ですね。DSは、小型機なんで、特にそうなのかも知れませんね。
 何かを作るとき、削れるようになってきたら、一人前なのかもしれませんね。