芸術と観客

 これまた、随分前に読んだものなのですが、思い出しながら、辿ってやっと見つけたので、メモを記します。
 ほぼ日のコンテンツの中に、よく吉本隆明さんのお話が出て来きます。ぼくは、吉本隆明という名前は聞いたことありましたが、名前ぐらいしか知りませんでした。糸井さんは、この方をとても尊敬していらっしゃるようで、いろいろ関わりをお持ちになっていて、よく話題に上ってきます。そんな糸井さんの影響で、ぼくも、ちょっとずつ興味を持ち始めているようです。
 そんな中、「吉本隆明のほうんとうの考え」というコーナーの中の010芸術の回は、とても印象に残っています。
 
 今の世の中、多くの人の関心を得ることが、回りまわって、お金に繋がっていきます。人を集めること=ビジネス的な考え方も、あながち間違いとは言えないようです。でも、このことと、良い商品、良いサービスはイコールにはならない気がするのです。
 多くの人の支持が、必ずしも正しいとは言えない事例は、たくさんあります。その影で、いいものが駆逐されている例もたくさんあります。
 最近は、サービス本意で、お客様が神様だ、みたいなことをあちこちで聞きます。その前は、品質だと言ってました。どちらも、周りと差別化して、お客様に選んで貰うための手段となっていて、いやらしい言い方をすれば、それで、お金を払ってもらえるからそういうことをやるんですよと言っているように聞こえます。これは、本質的なものではないような気がして仕方がないのですが、今ひとつよくわかっていませんでした。
 今回の吉本隆明さんのお話を読んだ時に、ぼくの中で、このこととや、他のこともそうなのですが、何か、重なるような気がしました。
 幹と枝葉の話というのは、よく聞く話ではあるのですが、実感として、よくわかっていなかったような気がします。でも、例えばこのサービスが、枝葉や花と考えればなんとなく合点が行きます。枝ぶりをよくするために、いろいろなことをやるのですが、結局幹がしっかりしていないと、中身があるようでなくなるということ。そして、今、そういうもので、世の中溢れているのかも知れないと、ちょっと考えてしまいました。枝葉が重要ではないというわけではなくて、枝葉だけを気にしていては、駄目だということなのでしょうね。
 ぼくは、その時点で評価されない芸術や、その時には新しすぎたと評価されなかった技術なんかについて良く考えることがあります。時が経ち、死んでからでないと、評価されないものや、もしかすると、未だに評価されていないものも、たくさんあるのかも知れない。この評価というのが、とてもくせ者なんだな~と、このお話を読んで思いました。

 だけど、芸術の本質といえば、「人が見る見ない」は関係ないんです。演ずる人がその人であって、自身を納得させることをそのドラマでできればそれで充分、芸術は成り立つんです。(「吉本隆明のほうんとうの考え」010 芸術より引用)

 いろいろなことを考えさせられるお話でした。