空耳アワーのなぞ

 タモリ倶楽部という番組の中の名物コーナーに空耳アワーというコーナーがありますよね。
Wikipediaから説明を引用すると、

視聴者から「日本語以外で歌われているが、あたかも日本語のように聞こえる歌詞(空耳)」の投稿を募り、制作サイドでつけたイメージ映像を交えて紹介するという『タモリ倶楽部』を代表するコーナーのひとつである。

 たまにTVをつけた時にこれをやっていると、最後まで見てしまうのですが、この空耳アワーを聞いていていつも不思議に思うことがあったのですが、昔のある論文を斜め読みして、そのなぞが解けました。
 その論文には、脳が物事を認識する場合、一つの感覚だけではなく複数の感覚を統合して、認識するような話が書かれていて、視覚と聴覚の話について書かれていました。脳が、物を認識するとき、視覚情報だけのときよりも、それに合わせて音を鳴らすような聴覚を刺激するようなものがあった場合のほうが、脳の反応が強くなるというものでした。
 例えば、画面上にクリックボタンが付いていて、そのボタンをクリックするといった場合、クリックすると音がなる場合と音が鳴らない場合とでは、脳の反応が違うのだそうです。
 とここまで書いて、何が言いたいかというと、ぼくは、空耳アワーを聞いていると、いつもそういうふうにしか聞こえないのです。タモリさんは、いまいちとかいろいろ批評されるのですが、ぼくには、どれもその通りにしか聞こえない。たまに2回繰り返して放送されることがあるのですが、やっぱりそういうふう(空耳)にしか聞こえないわけです。
 で、これは、上記の例の逆なのではないかと思いいたったわけです。この放送が流れている間、空耳のところに来ると、音楽に合わせて日本語の字幕が表示されます。これを読むと、脳は、そういうふうに言っていると勝手に補完してしまい、ぼくの場合は、何回聞いても、それを見ている限り、あるいは、それを見てしまった限りは、もうそういうふうにしか聞こえなくなってしまうのかと。なるほどと思ってしまいました。
 今、自分が見て、あるいは聞いている世界は、脳が作り出した世界だそうです。脳の話を読んでいると、脳はいろいろなフィルターを持っていて、自分に都合がいいと思われる情報だけを見せてくれているらしいです。だから、見るもの、聞くもの全てがそこにあるものとは限らなくて、脳が騙されると、そこにあるものでも、見えなかったり、聞こえなかったりするらしいです。
 こんなことを考えると、頭が混乱してしまいますよね。ちなみに、複数の感覚を使ったほうが、脳の反応が大きいということであれば、勉強のような学習行為をするときは、なるべく多くの感覚を使うようにしたほうがいいのかも知れませんね。声をだして読みながら、書くなんてのが、どれか一つやらないよりも、やったほうが効果があるのでしょうか?なんとなく、感覚的には、合致しているようには、思えますが・・・。