糸井さんのほぼ日でやっていた対談が、とても興味深かったので、メモ。以下、面白いと思ったところの引用です。
そうですね。
例えば、センスっていうのは
言葉にはならないといわれています。
芸術作品などもそうですが、
言葉にならないけど、
こっちのほうがいいとは、なぜか判断できる、
そういうことは、もうしょうがないわけです。
そういう感覚って、
かなり無意識のところから生まれています。
脳の部位でいうと
基底核(きていかく)とか小脳という場所です。
ここの活動は意識にのぼらないんです。
ほんとうはちゃんと論理的に
考えているんだろうけれども、
答えだけがわかる、というものを
出してくる場所なんです。
だから「こっちのほうがいい」という、
最終結果だけはわかるんだけど、
その途中どういう思考をたどっているか、
自分では言えないんですよ。
一方、大脳皮質はすごく意識的で、
「これこれこうなって、こうなって、
こうなって、だからこうでしょ」
というふうに、ちゃんと論理的に
口で説明できます。
このふたつが脳の中にあって、
おそらく二重構造をしているんです。
大脳皮質は、哺乳類で大きく発達しています。
だけど、基底核という、
言葉にならないけれども
答えだけわかっちゃうようなシステムって、
哺乳類以外の動物、例えば
鳥類や爬虫類や両生類、
それに魚類にまであるんですよ。
ちょっと長くなってしまいましたが、よく理由はわからないけど答えがわかってしまうことってありませんか。ぼくは、よくそういうことがあるの気がするのですが、それって脳のしくみの中に存在するんですね。
例えば、直感とか第六感、虫の知らせとか、理由はわからないけど、好きとか嫌いとか・・・。いわゆる言葉に出来ない世界っていうのは、脳の中に仕組みとして存在するんですね。
この部分の判断基準ってなんだろう。やっぱり、経験と学習能力なんですかね。論理的に説明できないのは、この部分を脳が認識出来ないからなんだと思うのですが、意識していなくても答えは出しているんですよね。これ、とても面白いと思うんです。思考ではなくなんらかの判定基準があるのでないかと・・・。
どうしてこんなこと考えるかというと、思考回路を人工的に作るのは難しくても、この無意識下の判断は作れるような気がするんです。(もうあるのかな?)
魚の例が上がっているように、こっちのほうが原始的な気がするんですよね。刺激と判断の組み合わせで、最終的に正しい道を見つけることが可能なんでしょうか。つらつら考えることは、面白いですね。