ほぼ日に養老孟司さんとの対談が掲載されていたのですが、その話の中で系統樹と網の目の話をされていました。三段論法などの理論的な考え方というのは、系統樹的な考え方が当てはまって、例えば、未来がわかったり、原因がわかったりするということなのだと思います。この系統樹的な考え方は、デジタル的で、コンピュータが得意とするところなので、この理論が当てはまれば、コンピュータ上で全てのことが再現出来るということになるのだと思います。世の中全てが、系統樹で説明できれば、コンピュータは正になんでも出来る魔法の箱ということになってしまうのですが、常々、そうではないものが世の中にはあって、限界があるように感じていました。そして、ぼくは、この網の目という考え方には、薄々ながら気づいていたような気がします。ただ、今でもそうですが、うまく説明できないでいるんだと思います。
世の中のいろいろなものは、網の目で構成されているという考え方は、何となく当てはまっているような気がします。系統樹は、この網の目の特殊な場合と考えたほうが、しっくりくるような気がします。より一般的なこの網の目について、理論が確立すれば、何だか画期的なことが起こるような気がしますが、網の目だと、いろいろな結果が出てきて、一元的に結論を導き出せないような気もします。糸井さんは、アミノミズムと表していますが、このアミノミズムは、いろいろな可能性がある反面、どうなるかわからない。まるで、生き物の未来を表していているようにも思えるし、不確定要素が多い、周りの現象にも当てはまるような気がします。
網の目の繋がり方を人工的に作ってみることはそれほど難しくないような気がします。でも、その結果、なにが出来るかは、想像出来ない。やる度に別のものが出来るのかもしれないし、大まかに収束するのかもしれない。やってみるまでわからないなんて、まるで人生そのもの。言い悪いは、別にして個性的なものを人工的に作るためのヒントが隠されているような気がします。
まだ、頭の中が整理できていないのですが、勝手にいろいろなヒントを貰った気になってます。