また、随分と間が空いてしまいました。個人的な環境の変化もあって、なかなか、元に戻れませんでした。環境の変化で、一番困ってしまったことは、情報収集する時間が短くなってしまったこと。Webもそうですが、電車で、毎日10分以上、本を読む時間を確保していたのですが、それが、なくなってしまいました。インプットがないと、アウトプットも出していけない。徐々にで構わないので、こういう時間を作っていかなければと思う、今日この頃です。
さて、古い情報源でも、気にせず、書いていきます。あまり、時間に縛られても仕方がありませんし。
ほぼ日で、また、脳科学の池谷さんと糸井さんが対談をされてます。今回の内容を読んで思うのは、ぼくは、あまり好きではないのですが、”形から入る”というのは、ありなのかも知れないなということです。脳は、体のありとあらゆるセンサー器官から情報を受け取ることで、いろいろと変化していく。これは、いいことだけではなく、トラウマになるような悪いことであっても、変化していくということですよね。であれば、いい刺激を体に強制的に与えることは、脳にとっては良いことなのかも知れません。
脳は、全ての刺激を等しく処理しているわけではなさそうです。特に、思考に当たるところ、意識的な部分というのは、全てを支配しているとは、言えないかも知れません。
センサー器官は、常にいろいろな刺激を受信していても、脳が認識するには、いろいろと条件がありそうですよね。これは、頭で理解していなくても、体が反応しているということを見てもわかるかもしれません。
なんだか、よくわからないけど、気持ち悪いとか、なんとなく好きとかいうのは、やはりあるということなんでしょうね。
100円で手に入れた古本によると、脳の中の小脳というところは、繰り返し練習することにより、回路が出来るところらしいです。つまり、練習で得られる能力は、この小脳が発達し、学習するということらしいです。
頭で考えるのではなく、体で覚えろというのは、経験的には、何となくわかっていたのかも知れませんが、思考を司るところとは、別の部位を鍛えるということだったんですね。
百聞は一見にしかずとは、よく言ったもので、経験を積むということは、脳にとって、とても重要なことなんですね。強制的にいい刺激を与えてみる。どんなことができるのでしょうか??
海馬―脳は疲れない (新潮文庫) 池谷 裕二 糸井 重里 新潮社 2005-06 |
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫) 池谷 裕二 新潮社 2010-05 |