「人はなぜ、忙しいのか?」これは、BRUTUSという雑誌に掲載されていた、吉本隆明特集の中の一つです。随分前に買った雑誌なのですが、いまごろ、ちょろちょろと読んでいます。(こういう雑誌、ぼくはあまり買うことはないのですが、これ見て、買ってしまったわけです。でも、結局、まだちゃんと読んでないのですが・・)
ぼくは、みんな、なんで、こんなにせっかちなんだろうと、常々疑問に思っていたのですが、その答えの一つがここに書かれているような気がします。
今の人の多くは、企業で働いています。現代の企業社会は、競争社会です。競争社会では、スピードは重要なポイントです。なので、経営者は、従業員にスピードを求めます。これが、めぐりめぐって、家庭の中まで入り込んでいるのが今の社会なのかも知れません。(ちょっと端折りましたが)
これは、人が作っている時間に、みんなが翻弄されていることになるのかも知れません。昔は、自然の中で生きていました。例えば、農業なんかは、農作物の都合に人が合わせていたのでしょうし、狩猟にしても、自然に人が合わせていた。だから、時間も、人が自然のサイクルに合わせていたのかなと想像します。
今はというと、人が人の都合に合わせるために、時を過ごしている。そして、効率を求めることで、このサイクルがどんどん短くなって来ている。だから、みんな忙しいと言っているということなのでしょう。
こういうサイクルから、ぼくは抜け出したいと願う気持ちが少しあるのですが、そうするということは、この社会から決別することとイコールになることかも知れないと思いました。
人である以上、どんな社会になっても、結局忙しい世界になってしまうのか?それとも、人が作ったシステムなのだから、社会を変えるということが出来るのか、はたまた、世捨て人にならないと、逃げられないのか、いろいろと考えてしまいました。
世の中には、忙しいことが好きな人が意外と多いですよね。ぼくは怠け者なので、余裕をもって仕事をしたい。でも、周りは、それを許してくれないことが多いというのは、結局、目に見えない人のシステムに振り回されているのかも知れませんね。この目に見えない力のようなものはなんなんだろうと思っていたのですが、なんとなく、正体が見えて来たような気がします。さて、どういうつきあい方をするのが、自分に合っているのでしょう。いろいろ、考えさせられるテーマでした。