日常に使われるものとデザイン

ほぼ日の”フィンランドのおじさんになる方法”の中で、フィンランドの食器について(こちら)、書かれていたのですが、その中に以下のようなことが書かれていました。

アラビア社は、マリメッコと同じように、
戦後の、貧しく悲しいフィンランドを、
暮らしに最高のデザインを入れていくことで
明るく、前向きにささえていきたいと
ねがっていたようです。
そしてカイ・フランクの哲学は、きわめてシンプル。
美しさは実用のなかにあり、
日常に使われるものには、デザイナーの名前は要らない、
ということでした。つまり「無名性」です。
また、カイ・フランクがつくる作品は、
金銭的に厳しい生活を余儀なくされている人たちの
生活空間や生活スタイルが熟慮されています。
食器が重ねられるというのは、
収納スペースをそれほど
必要としないということを意味します。
組み合わせが簡単であるというのは、
いろいろ使いまわしながら、同じお皿でも
組み合わせひとつで食卓の表情をかえられることに。
丈夫であることは、長く使えることにつながります。
誰でも買えるものに、最高のデザインを。
そんな時代につくられたものが、
いまも、フィンランドの各地で、
大切に使われているのでした。

 この考え方、ぼくは、とっても好きですね。”誰でも買えるものに、最高のデザインを”なんてなかなか言えないと思います。
 デザインは、注目を集めること、つまり目立つことが目的の中の一つです。そのため、奇抜なデザインというのは、とかく、実用性を犠牲にしようとします。でも、普段使っているものは、やっぱり、使いにくいと飽きてくような気がするんですよね。使いやすいけど、かっこいいもの、かわいものが、目指すべきものなのかも知れません。
 この使いやすいというところ、実は、あまり評価の対象にはならないような気がします。なぜなら、それが当たり前になってしまうからです。使いにくい場合、文句はたくさん出てきますが、使いやすい場合、そのことに対するお褒めの言葉は出てきません。使いにくいものが、使いやすくなれば、お褒めの言葉が出てきますが、それは、何か違う気がします。そんな、マイナスの評価しかされないところに目を向けるというのが、何だかいいと思います。
 もう一つは、長く使えるものという考え方。これは、今の時代に逆行しています。使い捨ての現代は、商品のライフサイクルは、短くなくてはなりません(と、声に出して言う人はあまりいませんけど)。どんどん大量消費して貰わないと企業が儲からないからです。
 でも、ぼくは、自分が何か作るとしたら、末永く使って欲しい。だから、丈夫で長持ちするものということも考えてしまうような気がします。ごみの問題がささやかれる昨今、こういう昔の考え方もいいのかもとちょっと思ったりします。
 分野は、違えど、ものをつくるというのは、その人の考え方が出てきて面白いですね。今の時代と反対のようで、実はそうでないような、そんな漠然とした思いを感じました。